あまり期待してなかったのですが、昔こんな建築様式があったんだと、小さく感動しました。
瀬戸内らしいなと、何の根拠もなく呟いてしまします。
場所は山口県「上関町」にあり、県下でもマイナーな地域ですが、原発を建てる計画が出されたため、最近にわかに注目を集めています。
山口県には、「上関・中関・下関」と揃った港名が残っており、もっとも東寄りに位置します。
山口県で仕事をしていたとき、オフィスはその「下関」にありましたが、そこから企業のある地域として、ここの「上関」が一番遠隔地でした。
「光市」と「柳井市」の中間地帯で一番南に突き出た地域になり、片道3時間以上かかります。
最も先の「長島」という島に「上関町役場」があり、脇の高台が「上関城」でした。
そこへは「上関大橋」を渡って向かいますが、その橋のたもとにこの建物があります。
明治初期の1879年に建てられ建物の角は石造りに見えますが、石板を貼ってるだけで、実は木造建築です。
この時期、西洋建築に精通した職人は、まだ地方にいません。
そのため、伝統的な木造の上に漆喰を施し、西洋風の縦長の窓ガラスを採用して、屋根は寄棟造りに仕上げています。
都会に出現しつつある西洋建築を参考にしたらしく、擬洋風建築とも呼ばれているそうです。
偶然だったのですが、施工主は以前にブログで取り上げた「第二奇兵隊」の参謀を務めた「小方謙九郎」という方だそうで、当初は住宅兼店舗に加えて汽船宿としても利用したそうです。
その当時、瀬戸内の田舎町に入港して、西洋建築が見えたとしたなら、かなりハイカラな風情を街並みの印象として与えたに違いありません。
中に入ってみました。
畳で和室となってますが、3階は左官の方が仕上げたであろう「こて絵」で、唐獅子が仕上げられてました。
圧巻は4階の「ステンドグラス」です。
四方から照らされ、色のついた陰影が畳に写っており、座るとまるで万華鏡の中にいるようでした。
日本人の、モノが無くても生み出そうとする創意工夫の姿勢は、いつの時代も素晴らしいと感じ入った次第です。
2005年に国の重要文化財に指定されたそうですが、惜しむらくは私以外の観客は誰もいませんでした。
もう少し脚光を浴びてもいいのにと、寂しく思ってしまうほどの素晴らしい建物が、山口県には意外に多いのですが・・・。
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