確か、「伝教大師:最澄」の産湯があるお寺を訪れたときに撮影したと思います。
「比叡山延暦寺」に向かう道中だったこともあり、りっぱな直線道路です。
写真の通り、並木と道路の先に「琵琶湖」が拝めました。
今回は、当時の現場にいたときではなく、このブログを書くために写真を眺めていた時の話をさせて下さい。
隙間のように見えただけなのですが、このときから不思議と「琵琶湖」の存在感を強く意識するようになりました。
結構な回数「ビワイチ(琵琶湖一周:最近、大阪の妹に教えてもらいました。)」をしていましたが、「水」を楽しんでいただけで「湖」としての認識が乏しかったのかと、このとき妙に得心しました。
そういう意識で、この湖が拝める寺社仏閣を訪問すると、全てといってよいくらい湖との関係を意識して建築されているんだなあと、あらためて実感します。
その当時を振り返ると、大局的に思いがはせられ、再訪したくなりました。
そんなの当たり前だろ、と多くの方が言われると思いますが、正直なところその視点が自分には欠けていたのです。
こういうことは気がついてないだけで、もともと多いのかもしれません。
この年になって、結構いろいろな場所に行ったなあと思いますが、自分の趣味の軸である「城・鉄道」については飽和気味になってきていて、このままでいいのかという不安があります。
「車」も興味が尽きませんが「足るを知る境地」もあって、老いもあるのか満ち足りた安堵感が出てきています。
まとまらない話になっていて恐縮ですが、「人生」のギアをもう一回上げるなら、新たな視点と興味の対象を増やす必要があると、反省してしまうこの頃です。
何気ない琵琶湖の写真から教えてもらったことでした。

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