2025年11月8日土曜日

中山法華経寺


「総武線」の「下総中山駅」にある「中山法華経寺」です。

東京で仕事をしていた時代は、「西船橋駅」の近辺に住んでいる期間が長く、一駅隣のここにはよく散歩に行きました。

「日蓮宗」のお寺の中でも、大本山になり最高ランクの位置づけで、大きな建物による寺院群があり、多くの修行僧をお見かけしました。

現役バリバリのお寺です。

歴史は古く鎌倉時代になりますが、多くの迫害を受けた「日蓮」は、この地域の武士に保護されて、紙筆の提供を受けたそうです。

その流れからか多くの彼の遺文が残されており、国宝である「観心本尊抄」と「立正安国論」は当寺が所持してます。

特に「立正安国論」は、教科書で覚えました。

また、写真の五重塔は、重要文化財の指定を受けており、散歩の折り返し地点です。

下の写真が、その散歩のときに歩いていた門前通りなのですが、お寺の境内付近でなかなかの風情があります。

参道は、「下総中山駅」から真っすぐに続いていて、駅の近辺は坂道になっており、この周辺は飲食店が軒を連ねています。

甘味処とか町中華があって、結構楽しませてもらいました。


あらためて思いますが、大手のチェーン店が圧倒的な支配力を持つ千葉県で、ここは得意な位置づけだったと実感しました。

晩秋の夕暮れ時に、今の年齢になって歩くと、あのときとは全く違う境地が開けそうな気がします。
 

2025年11月1日土曜日

輪中ルート


かなり前の話ですが、愛知県大府市の企業へ、3か月に1回訪問する案件がありました。

その時期、ラッキーにもアポイントが週末になった場合は、後泊してその土日に城巡りを敢行しておりました。

東海地方には、現存天守は残ってないのですが、「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」3人の天下人を出し、有力大名もこの地域出身の方が多いため、歴史的な出来事に関わる城郭史跡はとても豊富です。

城跡はもちろんですが、それがなくとも公園や寺社の敷地になっている比定地を含めると膨大な数になり、他の地域とは密度が違います。

そのため、毎回かなりの数を頑張って訪問しても、未消化で終わることが多く、未練を残して帰ることとなりました。

一定水準の達成感を感じるまで数年かかった次第です。

その際に「岐阜・大垣」訪問を目指すとき、大きな移動の支えとなったのが、写真の輪中を突き抜けるルートでした。

訪問先の大府市が名古屋中心市街地の南側にあるため、少し北上して西北方面を目指すことになりますが、そこには「木曽川・長良川・揖斐川」の三大河川が待ち構えています。

あとで「桑名海津線」と呼ばれるルートだと知りましたが、長良川と揖斐川を仕切る細い土手(背割堤)にあり、国道1号線と交錯する北へ向かう小道でした。

不意に入り口が出てくるので通り過ぎそうですが、前方を走っている商用車がそこに曲がったため、思わず続きました。

とっさの閃きです。

土手と言っても高さはなく、洪水時には水に浸かっても構わない設計なのか、川面を眺めながらのドライブでした。

アップダウンの低いときには、道路が土手の壁面よりも低くなり、水面下になっているようです。

道路の両サイドに水面が見える景色が続き、楽しくてしょうがないうえに、より最高だったのは道が空いているということでした。

東海地方は、道がどこも混んでいる印象が強いのですが、このルートは細い土手の上にあるため交差点が少なく、信号機がほとんどないのです。

そのおかげで渋滞なく大垣に行けますし、更に山間部まで向かうことも出来ます。

下の写真のように、3大河川にかけられた大きな橋梁達を、下のアングルから見上げるように抜けていく快感は、今でもしっかりと残っています。

今度行ったら目的地を決めずに、この道路の行き着く先を目指したいと考えています。
 

2025年10月25日土曜日

TM(テイエム)牧場温泉


名湯には事欠かない鹿児島県ですが、最も尖がった印象を残したのがこの温泉です。

鹿児島県でも、東側の大隅半島側にあり、桜島の南に位置します。

確か別の温泉施設に立ち寄ちよろうとしたのですが、混んでいる様子だったので他を捜すことにしました。

地域のガイド雑誌を持っていたので、拡げて探していて発見。

そこには、〝異次元の湯〟と表記されています。

名湯激戦区の鹿児島県で、こんな言葉が使われるなんて、異常に興味が沸きました。

また、アルファベットで始まる温泉名を聞いたことがありません。

ここから近いので俄然行く気になりました。

主要道路から海寄りの細い街道に降りて、目的地に向かいます。

写真の通り、目的地は廃墟を更地にしたような場所で、名称の看板は目立ちますが、施設らしい建物がありません。

海側を覗き込むと幟が立っていて、小屋が見えました。

このまま車を置いて下り道を進み、そこに向かうと、海の家みたいな風采です。

中に入ると、男女にはちゃんと分かれており、いそいそと料金を払って入湯しました。

第一印象は、ポンジュースです。

あくまで色のことなのですが、鮮やかなオレンジ色に見えました。

他の人がアップしている写真とかを見ると、黄土色なので大げさに聞こえるかもしれませんが、このときは眩しい日差しが湯面に反射していたので、そのように見えたようです。

さすがに匂いは柑橘系ではなく、茶褐色系によくある錆びた風味がしました。

炭酸水素塩泉と表記されていますが、鉄分とカルシウムが多いようです。

普通はベタつくことの多い泉質ですが、思いのほかサラリとしてました。

でも濃厚な感触で、まさに極上でした。

また、名称の「TM」は「テイエム」と読むそうです。

もともと、馬主で有名な方が、自分所有の競走馬に「テイエム○○○」と命名していたようで、かれらを育てる牧場も「テイエム牧場」と名付けられました。

牧場は複数あるようですが、ここの牧場は既に閉鎖されてます。

そのため、「テイエム牧場」は閉鎖しましたが、「テイエム牧場温泉」は営業してます、みたいな非常に紛らわしい言葉が飛び交うそうです。

湯を堪能した後は、近くにあるフェリーに乗り、錦江湾を横断して鹿児島市内に戻りますが、船内にはうどん屋さんがあり、それを食しながら海の景色を眺めるのが楽しみでした。

そのとき、いつも宇高連絡船が思い浮かぶのは、自分が四国の人間である証左かと実感します。

そこに向かうべく北上する途中、下の写真のように桜島が迫る様に見えました。

桜島は南から見る方が、火口がよく見え、活火山としての雄々しさがより伝わってきます。

何かにつけて鹿児島のドライブは、雄大な気持ちになれる素敵なコースばかりでした。


2025年10月18日土曜日

SLばんえつ物語

 

福島県「郡山駅」と新潟県「新津駅」を結ぶ「磐越西線」。

そこをひた走る「SLばんえつ物語号(今は「SLばんえつ物語」に名称変更)」です。

現在人気を博しているご当地観光列車の魁のような存在であり、今も元気に運行されてます。

この写真は20年以上前に撮影したもので、客車の上下がチョコレート色で、中央部分がクリーム色のカラーリングは、運行初期のデザインです。

このブログを書くために、今までの変遷を調べてみたのですが、驚くほどリニューアルされていました。

先頭で7両編成をけん引している蒸気機関車「C57 180」は、いまも健在(これが凄い)ですが、客車はカラーリングの変更のみならず、新規の車体がどんどん投入されて、より快適性を追求したものになっています。

今は、展望台車まであるようです。


この列車のコンセプトとして、運行当初から名称通り、物語性を重視したものになっていました。

下の写真はこの列車専用のお弁当で任意に購入出来るのですが、地域の食材を使用し郷土料理を詰め合わせた嬉しい内容になっていました。

ビールも、地元のクラフトビールが用意されていて、両方とも「SLばんえつ物語」の名称になっています。

川沿いの車窓を眺めながらの一杯は、最高のひとときでした。


以前のブログで、ご当地観光列車は豪華すぎて興味の対象にないようなことを書いていたのですが、この日のことを思い出すとかなり楽しんでいた自分に気がつきます。

再考が必要かもしれませんが、一人旅で楽しめるのかどうか確認要です。

一人という発想が、家族に叱られそうでが・・・。

2025年10月11日土曜日

舞鶴線


鉄道の歴史は、軍事の歴史でもあります。

鉄路が敷かれる優先順位は、軍需物資を効果的に運搬するための優先度に、重なることが多いと思われます。

今回取り上げる「舞鶴線」は、「山陰本線」の「綾部駅」から枝分かれし、終点の「東舞鶴駅」まではわずか6駅、路線距離は26.4キロしかありません。

しかし舞鶴が軍港であることから、民営企業での計画があったにもかかわらず、官設に切り替えられて、1904年に開業されました。

「日露戦争」開戦に間に合わせるためです。

そこから先も延伸されて、「北陸本線」の「敦賀駅」と繋がり、旧国名「若狭の国(福井県の西部地域)」を横断する「小浜線」へと続くのですが、全通したのは1922年と、かなり後の時代になりました。

急がない公共投資はこんなものかと。

また、「東舞鶴駅」が二つの路線を分ける起点になるのですが、同じ1本の路線でも対照的です。

東側を走る「小浜線」は、銀色の車体に明るい緑色のラインが入った車両を採用しており、海沿いの明るさがあります。

逆に、西側を走る「舞鶴線」の各駅停車は、写真の通りくすんだ緑一色で、ミリタリー調の雰囲気が漂っています。

初めて見たとき、「機動戦士ガンダム」に登場する敵側の戦艦「ムサイ」が浮かびました。

現在も、「東舞鶴港」は海上自衛隊の基地であり、この重めと言いますか、冴えない色調はこの路線の各停車両に似つかわしいと思います。

今回の旅は、5枚セットの「青春18切符」のうち、最後の余った1枚を活用した日帰り旅行として舞鶴までやってきました。

今から東舞鶴市街を通り、軍港までを散策するのですが、この列車の折り返しの出発を見届けました。

季節は9月上旬で、ガンガン照りではありませんでしたが、それなりに強い日差しはありました。

しかしこの色調は、光をあんまり反射しないようです。

鈍いぼやけた光沢を発しながら去っていく様は、まるで戦車のようです。

特別な場所にやってきた旅情を感じさせてくれる、有難い各停車両でした。

何故か、思わず手を合わしてしまいました。

 

2025年10月4日土曜日

石見川本駅

 

かなり古い写真になりますが、廃線になってしまった「三江線」の在りし日の風景です。

以前に何度か取り上げましたが、広島県内陸部にある「三次駅」と、島根県沿岸部の「江津駅」を結ぶ路線になります。

とにかく蛇行が多い路線で、写真は島根県内陸部にある「石見川本駅」ですが、奥に向かって大きく右に弧を描いているのがわかります。

このときは駅も開業していて、列車が入線してきていたのを見つけて、慌てて写真を撮りました。

超がつくローカル線なので、列車に遭遇出来てラッキーです。

確か、知人の手伝いでドライブがてらやってきて、その打ち合わせの事務所が、町を見渡せる高台にありました。

自分の用事ではなかったので、そこからぼんやりと町を眺めていました。

待っているしかなかったので、慌てる必要もなく、妙に贅沢な時間を過ごしているなあと、感慨深かったのを思い出します。

勤め先の営業所もこの町にあり、今は店舗統合で閉鎖されてましたが、当時は機能していて、帰り際に少し覗いたことを思い出しました。
(残念ながら、土曜日だったので誰もいませんでした。)

下の写真は、帰りがけに車を撮影したのですが、夕映えになりかけていて、やさしい陰影の風景になっています。

まだまだ旅をしていくと思いますが、インパクトのある被写体を撮るよりも、撮影したときの心情が思い起こせるような写真を残せるように心掛けていきたいと思いました。


2025年9月27日土曜日

伊香保温泉


「伊香保温泉」の温泉街です。

結構な急坂である石段は、旅館・土産物屋・遊技場とかが軒を重ねており、この温泉のシンボルでもあります。

地元で普及している「上毛かるた」でも、〝い〟は「伊香保温泉 日本の名湯」です。

会社の先輩にこの話を伺ったのですが、この言い回しは何故か憶えていました。

同じ群馬県内にある「草津温泉(ほとんどの全国温泉番付で、横綱認定)」と、並んで知名度が高いと言っても過言ではありません。

有名な文豪達が、小説の題材とかにも取り上げていて、温泉ならではの風情というか余韻が漂う素敵な場所でした。

私がこの温泉街をはっきり認識したのは、漫画「頭文字D(地元の走り屋が、夜な夜な峠で勝負する)」の舞台が、この界隈を想定しているからです。

実際の地名は微妙に変更されているのですが、この漫画の主人公と、彼女が紅灯の巷へと消えていくのも、この温泉街が背景になっていました。

しっぽり感というか、色気が漂う温泉ではあります。

ただ、残念ながら温泉の泉質は大したことありません。
 
悪い印象で残っているのが、読んだ推理小説でここが登場したときに、湯量が乏しくて困っているという話題でした。

昔からの源泉は「黄金の湯(こがねのゆ)」と呼ばれるそうですが、権利者が幅を利かせていて、新規に発掘された「白銀の湯」と併用されているそうです。

ただ後者は、無色透明で湧出温度が低く、温泉特有の成分が非常に少ないため、評判がイマイチとのこと。

以前に泊まった宿は、茶褐色の前者だったので当たりと言えますが、それでも源泉かけ流しでなく、妙に薄い感じがしました。

愛媛の塩素が入っている有名な温泉(それでも好きですが)と、立ち位置が似ているような気がします。

しかし、インバウンドの流れも含めて、温泉業界でのブランド戦略は、継続的に栄えていくうえで非常に大事だと感じています。

雑誌での紹介記事において、宿泊したことのある有名旅館が、ビックリするような金額になっていることが多いです。

もはや自分の懐具合では、宿泊出来る相場ではありませんでした。

正直なところ、日本のサラリーマンが家族単位で宿泊するのは、全国的に厳しくなっているような気がします。

話題になる前の穴場を、自分の感覚で探していくしかありません。

家族旅行で宿泊出来る素敵な場所を、見つかるのは本当に大変です。