2017年9月23日土曜日

興国寺城


「興国寺城」跡にある神社からの景色です。

社殿を背にして鳥居から撮影しており、駿河国と伊豆国の境にあります。

ここは、戦国大名のさきがけ「北条早雲」が初めて城持ちとなった記念すべき城です。

「今川氏」に嫁いだ妹の縁を頼って客将になっていたのですが、お家騒動を収めた功労でこの城を与えられました。

彼を初代とする「後北条氏」が関東攻略を始めるスタート地点がここになります。

関東が足利氏(堀越公方・古河公方)や上杉氏(山内上杉・扇谷上杉)の勢力争いで、混沌としていた時期です。

「室町幕府」は地方分権がもともと強いせいか、当初の南北朝時代もあり、三代「足利義満」の一時期以外はすっとゴタゴタの印象があります。

幕府内の権力争いが、そのまま領地にも飛び火しており、関東も同様でした。

彼はそういった情勢を見極め、巧みに勢力を伸ばしていきます。

相手の隙間に入り込んで、弱いところから確実に攻略していく戦略は見事です。

硬・軟・緩・急を絡めていて決して野蛮ではありません。

駿河へ来る前には、八代将軍「足利義政」の弟で、「応仁の乱」原因の一人でもある「足利義視」に仕えていたらしいです。

過去に、中央政権の権力闘争で培われた権謀術数であるからとも思えます。

伊豆の「堀越公方」を滅ぼし、その山間部を越えて「小田原」を新拠点として関東平野に狙いを定めていく展開は、「国盗り」への着実な野心を感じます。

この流れは、戦国時代の終局となる豊臣秀吉の「北条征伐」まで連綿と五代に渡って続くのです。

見事な「事業承継」だと思います。

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