2017年7月22日土曜日

秋田城


古代城郭として再現された「秋田城」の「外郭東門」です。

再現された建物が多く、喧騒がない早朝に撮影したため、往時の雰囲気が満点でした。

特に赤の柱が印象的です。

「赤」って強さの象徴なんだとつくづく感じます。

面白い遺構では水洗トイレの跡もあります。

丘陵地帯に築かれて防衛を前提にしてますが、「平城京・平安京」のような「都城制」の小さな町を、都よりも強固な堀や塀で囲ったような構造です。

秋田市北西端の海側にあり、奈良時代の「聖武天皇」の頃に築かれたようです。

当時の奥羽地方は「蝦夷地」であり、「大和朝廷」は北方攻略を進めていきます。

太平洋側の仙台市にある「多賀城」と同様に、海へすぐに脱出可能な場所として、日本海側の中心拠点だったようです。

そのせいか周囲の拠点とはかなり離れて、前線に位置します。

このあと朝廷は「天武系」から「天智系」に変わっても、北方政策は引き継がれ、「桓武天皇」の時代に「坂上田村麻呂」が「阿弖流為(アテルイ)」を攻略します。

秋田のある「日本海側」はあまり注目されてませんが、大陸側の国「渤海(ぼっかい)」との外交窓口でもあったらしく、更に勉強していきたい領域です。

もともと長い日本の歴史で文化がやってくる大陸側は、本来「日本海側」でした。

日頃の生活の中で、無意識に「太平洋側」を基準に考えている節が自分にはあります。

今後は地図を逆さにして考えるような発想を大事にしていきたいと思います。

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