2019年7月20日土曜日

宇都宮城


写真を見て何となくおわかり頂けると思いますが、この天守閣っぽいものは運動競技場のような広場の角っこに建てられています。

土塁のような壁も再現されてますが、昔伺ったときにはなかったと思います。

城好きから観ると侘びしい感じが漂いますが、もともと「宇都宮城」がありました。

個人的には一番可哀想な形で復興された城じゃないかと思っています。

行政的には下野国の中核となる城ですが、徳川将軍家の日光東照宮参拝に際しては宿泊所となる施設でもあったので、本丸は実質城主のものではありませんでした。

そんな事情も踏まえ、この城にまつわる有名な話として「宇都宮つり天井事件」があります。

完全なデッチ上げですが、当時の徳川幕閣の世代交代に伴う権力争いが影響していたため、徳川家康の懐刀であった城主「本多正純」が改易になってしまいました。
(家康は既に亡くなっていて、秀忠が実質的にも将軍となっている時代です。)

その後の明治維新では、新撰組の「土方歳蔵」も加わった「宇都宮戦争」の舞台となり落城、加えてその後に着任した「土木の鬼」である県令「三島通庸(みちつね)」によって徹底的に壊されました。

大抵は規模の大きな城跡の場合、天守閣等の建物が破却されていることはあっても、縄張りの痕跡は何だかんだ残っていることが多いのですが、この城に関しては改装前の公園のときでさえ、名残りらしいと実感出来るようなものは見つけられませんでした。

全く存在を否定された観があり、りっぱな縄張りがあったのを古地図では確認出来るだけに残念です。

どうせ復興するなら、もう少し風情は考えて欲しいとつくづく思います。

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