2024年10月26日土曜日

加世田駅跡

 

山口県の下関にいる間に、九州地方を今一度丁寧に回っておこうと、鹿児島県西部にある「加世田駅跡」を訪れました。

まさかこの後に鹿児島県に赴任するとは露知らず・・・。

ここは、廃線となってしまった鉄路達が集結したハブ駅でした。

鹿児島県の西海岸沿いにも、昔は鉄道が走っていました。

日本最南端を走る「JR枕崎線」の終着は「枕崎駅」ですが、昔はそこから先も続いていて、「鹿児島交通南薩線」が時計回りに北上し、「JR鹿児島本線」の「伊集院駅」と結んでいました。

更に、中間にあったこの駅を起点として、山間部に向けて「鹿児島交通知覧線(終着は知覧駅)」が、海側には「南薩鉄道万世線(終着は薩摩万世駅)」が繋がっていたのです。

「知覧」と「万世」は、共に特攻隊基地のあったところでもあります。

訪れると、駅はバスのロータリーになっており、芝生が敷かれた場所は、かつてここを走った列車達の停車場となっていました。

写真の通り、野ざらしで置かれていて、それなりに傷んでいますが、かえって往時の雰囲気が伝わってきます。

路線跡とかはわかりませんでしたが、使用されていた駅名の看板が、バスターミナルや停車場に、駅のフォームのように設置されていました。

不思議に違和感がなく、駅舎に立っているような気がします。

鹿児島県に赴任した後も、この近所の営業部に伺ったときは、わざわざロータリーを周回して帰ったりしました。

これ以上は無くならないで欲しいです。


車に乗ったままで、機関車の雄姿を360度で拝めるロータリーは、相当貴重だと思います。


2024年10月19日土曜日

くま川鉄道

 

熊本県の「くま川鉄道」に行ってきました。

コロナ禍の令和2年7月4日の豪雨災害で被災し、「人吉温泉駅~肥後西村駅」の区間は、未だに復旧出来てません。

写真は、「肥後西村駅」から人吉方面に向かう踏切上で撮影しました。

見ずらいのですが、線路上に鉄のバリケードが組まれていて、この駅が現状の終着駅であることを示しています。

全線で被害を受ける中でも、この駅から東側の終着「湯前駅」までは、令和3年11月28日に運行を再開しました。

西の終着「人吉温泉駅」までは代替バスの運行で対応しているそうです。

令和7年度中に全線再開を目指しているそうですが、是非とも復活して欲しいものです。

頻発している大災害は、ローカル線に致命的な打撃を与えるケースが多く、収益的な問題以上に存続に止めを刺すことが多いです。

川下にある「人吉」は、球磨川が中心を流れる非常に美しい町です。

以前のブログで取り上げた、蒸気機関車「SL人吉」もこの町が終着駅です。

それが、豪雨災害で鉄橋が流されました。

あの風光明媚な鉄道の景観が消えうせたことに、テレビの前で絶句しました。

下の写真は、無人駅の「肥後西村駅」です。

 

フォームにも立ちましたが、この進行方向から先が通行不能になっている実感がわきません。

心地良い風が吹く、素敵な夏の夕暮れでした。


最後に、ここから山奥ルートを選択して帰路に向かうときの展望です。

この雄大な景色を見て、はるばる熊本県の南部までやってきた甲斐があったと実感した次第です。

鉄路復旧の暁には、早いうちに再訪することも誓いました。

2024年10月12日土曜日

クジラ祭り


この大きなクジラさんの模型は、山口県長門市通(かよい)地区で開催される「通くじら祭り」
にて使用されてました。

仕事の帰り、たまたま片付け中(おそらく乾かしていた)に、ラッキーにも遭遇しました。

写真にて、家との比較でもわかる通り、駐車場を一頭で占拠しており、尾びれは道路を仕切る金網すら飛び出しています。

動かすときは、模型の腹部に船が入るようになっていて、実際に海に浮かび、頭上から潮も吹きます。

少し前にテレビにてこの祭りの様子が放映されていたのですが、古式捕鯨に乗っ取ったであろう儀式はかなりリアルです。

赤い褌をしめた漁師達を乗せた船が、クジラさんを取り囲み、モリを突いたり、終いには数人が上によじ登ってとどめを刺していました。

地理的には、長門市の海に突き出た青島島の、更にか細い東端となり、釣り針のような地形になっています。

そのため、入り江は袋小路のようになっていて、クジラが迷い込みやすいそうです。

素人の自分ですら、その説明に納得できるロケーションでした。

江戸時代から、捕鯨の基地として栄えていましたが、今後の継続性が心配になりました。

今回の仕事内容は、小中学校に関するボランティア支援で、そのヒヤリングに最東端の高台にある小学校に伺ったのですが、生徒は全学年で6人しかいませんでした。

校舎自体は、コンクリートの三階建て、体育館も25mプールもありますから、以前はそれなりに人がいたのでしょうが、危機的な状況です。

(この後も同様に複数の小中学校を回りましたが、少子化に加えて、産業の空洞化で世帯数が減っており、生徒数を伺うたびに過疎化の深刻さを感じてしまいました。)

現在のお祭りの運営も、地域外に出た人が戻ってきては、運営にしっかり参加しているのでしょうが、絶対数が足りなくなる可能性があります。

今年は残念ながら、悪天候のため中止になったとのこと。

そんな状況を考えると、「新居浜祭り」や「西条祭り」は異次元の運営かもしれません。

祭りの存在は、東予地域の少子化に歯止めをかけているような気がするのは、私だけではないはずです。


 

2024年10月5日土曜日

八角トンネル


最近はかなり有名になっているトンネルです。

実際に伺うと、輪切りのようになった八角形の構築物の隙間から、それぞれに光が差し込み、個々が緑色の光沢を放っているように見えます。

「エヴァンゲリオン」の情景にでも使われそうな近未来感があり、予想外の感激が沸き起こりました。

正確にはトンネルではなく、鉄路側面の切通の崩落を防ぐために築かれた補強構造物の連なりです。

そのために上部も塞がってなく、草むらになっていますが、おかげで独特の魅力を演出していました。

「熊延鉄道(ゆうえんてつどう)」という廃線の跡地で、熊本県の「南熊本駅」から東南に向かった「砥用駅」を結んでいました。

1912年(大正元年)に開業、1964年(昭和39年)に廃止されています。

自分が生まれる前にしては、保存が行き届いていると思います。

宮崎県の高千穂と結び、高千穂鉄道(これも廃線)を経由して、延岡まで繋がる計画でしたが、全く届きませんでした。

今日は旅の計画を細々と決めてないため、時間に余裕があります。

行けるとこまで行ってみることにしました。

このトンネルまでは、バイカーの見学者が数人いたのですが、奥まで進みそこから先は人がいなくなりました。

もともと28キロしかない路線なので、あと数キロ歩けば終点まで行けるかもしれません。

しかし、下の写真にある橋脚(第二津留川橋梁)まででした。

その気になったのに数百メートルしか歩けず残念です。

この手前で、歩道が川に向かう脇道になり、川まで行きましたが、渡れる橋はありません。

欠けた2本の橋梁が聳え立つのみです。

とはいえ、暑い日にもかかわらず、川のせせらぐ音を聞きながら、ボーッと橋を眺めて妙に安らげたのを覚えています。

フィーリングの良さを感じつつ、吹き出す汗が落ち着くころ合いを待って引き返した次第ですが、妙な納得感がありました。