2017年9月16日土曜日

田沢湖の裏メニュー


旅の目的を「湖」に設定することはほとんどありませんが、無意識にドライブコースには入れていると思います。

秋田県にある「田沢湖」は何回か通っていますが、湖畔がきれいにみえるであろう天候にいつも恵まれています。

その反対が更に北の「十和田湖」で、天気が良くても、何故かいつも靄っています。

写真は「田沢湖」のまあまあ有名な「辰子像」ですが、悪趣味にも金色です。

しかし、深い水色なのに澄んだように見える独特の湖面がそうはさせません。

服装もよく見ると「叶姉妹」なのですが「ゴージャス」ではなく、不思議と「清楚」に見えるのです。

偶然かもしれませんが、この作者の自然を取り入れた色彩感覚には驚嘆します。

すぐ脇の湖畔に佇む「田沢湖プリンスホテル(当時)」は古くて小さいですが大好きです。

かなり割安な夕食がお勧めです。

メニューは限られるのですが、ホテル料理の生命線「デミグラソース」が堪能出来ます。

サラダもホテル特製の「ドレッシング」が2種類あります。

私しか客がいなかったので、お勧めを聞いたら、「行儀はよろしくないですが、実は両方同時にかけたらもっとおいしいんです。」と教えてくれました。

多分シェフは怒るでしょうが、こういう脱線があるから、旅は止められません。

2017年9月9日土曜日

羽黒山


今回の旅は山形県です。

今は廃止となりました夜行列車「ムーンライトえちご」にて、新宿から新潟へ向かい、羽越本線に乗り換えて北上しました。

「鶴岡駅」にて下車、バスにて出羽三山の一つ「羽黒山」を目指し、そこにある「出羽三神合祭殿」をお参りしました。

そのあと担いできた折りたたみ自転車に乗り、山を下って駅まで戻る予定でしたが、やって来た自動車道と違う本来の「長い石段の道」に気がつきました。

非常に魅力を感じてしまい、予定を変更してエッチラオッチラ階段を下りることにしました。

庄内平野がよく眺められ、途中に「水戸黄門」に出てきそうな風情の茶店があって一服したりと、自転車を担いだ肩はかなり痛かったのですが、選択は間違っていませんでした。

写真は、国宝「羽黒山五重の塔」です。

「神仏習合」が普通だったことを象徴するものであり、神式と仏式が共存していた名残です。

普通は、神社に仏塔はありません。

明治初期に「廃物希釈」の嵐が吹き荒れた際、仏教建築はことごとく破壊されました。

その中で、この塔のみが唯一奇跡的に生き残ったのです。

杉木立に制圧されそうですが、周囲の広大な伽藍跡が往時を物語っていて、ポツンと佇んでいる様は孤独というか寂しそうに見えます。

だからこその「凛」とした存在感を強く感じました。

また地域的には密教系の信仰がもともと共存しており、僧侶がミイラとなる「即身成仏」がこのあたりに多いのも特徴です。

大らかに何事も取り込んで、どんどん積もっていくような「日本の信仰形態」の縮図を見る思いがしました。

2017年9月2日土曜日

御茶ノ水


「JR御茶ノ水駅」の改札口を出てすぐにある「聖橋」の下付近から撮影した景色です。

東京は、もともと谷間の多いところを埋め立てて作り上げた都市で、「谷」のつく地名が多いことでも伺えます。

浮世絵でも高低差を感じる景色が多いです。

しかも水路を整備して、水上交通を発展させました。

写真のように「神田川」を船が往来しているのを見ると、当時の状況は何となく伺えます。

駅の東京よりに「ギリシャ正教」の「ニコライ堂」、橋を渡った反対側に「儒学」の「孔子廟」と、「三社祭」で有名な「神田明神」があります。

何気に「露・中・日」の宗教施設が交錯している地域です。

宗教紛争が発生してない、稀有な日本ならではのまったりした現象だと思います。

現在の世界情勢において、他の国ならお互いが怖い距離感かもしれません。

中でも「ニコライ堂」ですが、正式名称は「東京復活大聖堂」だそうです。

安直なネーミングだと、失礼にも笑ってしまったのですが「東京にてイエスの復活を祝う大聖堂」の意味らしいです。

「復活」という言葉は「関東大震災」と勝手に想像していたのですが、なるほど神の領域かと、「一神教」の強さを思い直しました。

しかし日露戦争以降、信者は迫害を受けており、ずっと苦難の歴史を刻んできた建物です。

日露両国の関係が更に改善すればいいなあと思います。

2017年8月26日土曜日

男鹿半島 入道崎


これは旅行ではなく、出張の延長でした。

担当企業の従業員様への説明会があり、秋田県の事業所へ伺った際、そのまま帰るのももったいなかったので、少し寄り道したのです。

男鹿半島の先端にある「入道崎」付近で撮影したものです。

いくつかの城跡があったので目的地にしたのですが、それらはイマイチでした。

しかしその道中は起伏に富んだコースで、非常に楽しいドライブが出来ました。

このときスーツ姿だったので、自分自身もいつもの旅と違う感覚で新鮮でした。

休みの「オフ」状態でなく、何かしら「オン」になっているのです。

ふと浮かんだのは車のCMです。

セダンやワゴン系は「家族」ではなく、男性一人の「ビジネスマン」が登場することが多いのに、何故か「大自然」を走っているような気がします。

普通そんな展開ないのですが、それでもそのほうが「ロマン感じるな。」と実感しました。

ここから、自分の「オフ」の服装に「フォーマル」の要素が少し入るようになったと思います。

帰省のたびに母に「貧乏くさい。」と怒られていたのが、少し緩和されたような気がします。

2017年8月19日土曜日

流しそば


岩手県の「釜石線」沿いの「滝観洞(ろうかんどう)」を見学(今後に掲載予定)して、ちょうど昼食を食べるタイミングでした。

辺鄙な場所ですが、食堂があったので「何か食べれれば。」と全く期待しないで入店しました。

すると写真の「流しそば」なる装置を発見。

好奇心が高まり一気にアドレナリンが出てきました。

早速、若い店主に注文しましたが、「あまり期待しないでください。」の一言。

逆に期待値がますます上がります。

店主がいそいそと竹パイプの向こう側へ向かい、上段の窓から「いきますよ~。」の合図。

私は竹パイプの下側で、松岡修造みたいに中腰の姿勢で、箸とそば猪口を持って待ち構えました。

するといきなり「ベシャ!」。

流れてきたというより、地面に落ちた吐しゃ物みたいな音。

かなり黒い太めのそばの固まりがそばザルに引っかかっています。

食べ物というより、本能的には排せつ物に近い感じがします。

「そばが重くてうまく流れないんですよ~。」と店主が説明してくれました。

おそるおそる食べましたが、意外と風味のある美味な黒そばでした。

好奇心は結構満たされましたが、まず流行らないと思います。

味の良さからすると普通に出したほうが売れるかも。

2017年8月12日土曜日

島原鉄道


風が強かったのですが日差しも強い日で、「島原鉄道」の黄色い車体が眩しく輝いていました。

終点「島原外港駅」へ向かう待ち合わせ中の写真です。

すみません。はっきり何処の駅か覚えていませんが、ムチャクチャ「海のキワ」でした。

台風の時は、間違いなく運行停止になると思われます。

本日は本当に迫力のある景色で、左は「島原湾」、右は「雲仙岳」の両方が車窓に迫ってきます。

以前は島原半島を囲むように「口之津」まで線が伸びていましたが、現在は大幅に短縮されています。

今でも十分見応えはありますが、「島原の乱」で有名な「原城」を訪れたとき、「車でなく、列車で行っておけば廃線前に完乗出来たのに。」と、思い出して後悔しました。

しかも今回はいつもと趣向が変わっていて、終点から折り返しません。

「島原外港駅」に着いて、目の前のフェリー乗り場から海路「熊本」へ向かいました。

船が動き出すと、いろんな鳥が飛んでついてきます。

スナック菓子とか投げるとうまくキャッチして食べます。

魚に餌をやるより楽しいです。

その背景にはいつも「雲仙岳」があり、本当に大自然を感じる旅でした。

そういえば、「宇高連絡船」で鳥達と戯れた記憶がありません。

「うどん」を食べることにしか意識がいってなかったのかなあ。 


2017年8月5日土曜日

碓氷峠


関東から信州に抜ける中山道の要衝でもある「碓氷峠(うすいとうげ)」。

戦国時代には、武田信玄の軍勢が上野国(群馬県)を攻略する際、何度もこの峠を越えていました。

近代になると鉄道網の敷設において、この峠が大きな障害となります。

軽井沢側は大きな勾配がありませんので、長野と群馬間の段差をどう攻略するか?

具体的には、釜飯で有名な「横川駅」から「軽井沢駅」までどう駆け上がるかです。

写真の通称「めがね橋」もその急勾配を攻略するためにつくられたもので、ドライブで通るたびに、この大きなアーチに見とれてしまいます。

ただ、列車の馬力向上により路線もどんどん変更されていきます。

とうとう現在は、山中を突っ切る長野新幹線が開通しているため、趣あるこの区間は残念ながら廃線となってしまいました。

細かな変遷の経緯はよく知りませんが、この橋はいわゆる「旧線跡」に属し、今は遊歩道として観光地化されています。

トンネル内も通行可能で、探検しているようなワクワク感と、歴史の重みを感じることが出来て、どの季節もお勧めです。(冬は厳しいなりにですが・・・。)

更に山を越えた奥側に穴場の「新線跡」があります。

本日の目的である秘湯「霧積温泉」が更に奥地にあり、そこへ向かう途中に立ち寄りました。

(宿は、駐車場から30分登山しないとたどり着けませんが、昭和初期の手付かずな情緒が楽しめました。)

長く続く土手の裏側に隠れているのですが、分け入っていくと、線路も頭上の電線もきれいに残っていました。

パッと見は廃線に見えません。

トンネルも塞がっておらず奥まで続いているようで探検出来そうですが、闇から幽霊列車がやってきそうな雰囲気です。

吸い込まれそうで怖くなり、覗くだけにしてそそくさと立ち去りました。